冷蔵庫、電気無ければただの箱

 昔、旅行に行くときに安全のためにと電化製品のコンセントを抜いて行ったのですが。旅行から帰って来て、さあ大変。馬鹿な事に冷蔵庫のコンセントまで抜いて行ったものですから、食材はみんな腐ってしまっていました。かみさんに怒られること怒られること。「冷蔵庫、電気無ければただの箱」という顛末でした。
 ところで、冷蔵庫以外にも電気で動いているものは今の家庭では非常に多いのではないでしょうか。オール電化のマンションというものも最近、電車の吊り広告で何回か見ました。
 我々の現在の生活にはどうも今や電気は無くてはならないもののようです。我が家で考えても、電気が止まったら暖房入らない、お風呂炊けない、玄関(オートロック)開かない、時間が経てば水も止まってトイレも流せない(マンションの貯水漕への汲み上げが出来なくなるから)、他と困ってしまいます。幸い、台所はガスなので火は点きますが。これもIHだったらほぼ全滅ですね。
 ということで、現代生活はまったくもって電気会社依存の有様です。MLで話題となったシュタイナーの「血のエーテル化」(GA 130 佐藤公俊訳) http://members.aol.com/Satokimit/etherization.html
の質疑の項に以下の様に書いてありました。

 「私たちは、物質世界、アストラル世界、低次のデヴァカン、高次のデヴァカンをもっています。体を物質世界よりさらに引き下ろすなら、潜在物質世界、低次のアストラル世界、低次の、より正確には邪悪な低次のデヴァカン、低次の、より正確には邪悪な高次のデヴァカンに入り込みます。邪悪なアストラル世界はアーリマンの領分です。邪悪な高次のデヴァカンはアシュラの領分です。化学的行動を物質界より、邪悪なデヴァカン世界に引き下げるなら、磁気が生じます。光を潜在物質界に投げ込むなら、電気が生じます。もし天球の調和に生きるものがさらに深く、アシュラの領分に投げ込むなら、さらに恐ろしい力が発生します。将来それをあまり長く隠し続けることはできないでしょう。この力が来たときには、最も凶暴な放電よりはるかに、はるかに強いものと思わねばならない力が招来したときには、発見者がこの力を人間性の手に渡す前に、人間存在がもはや道徳に反するものをもう何ももっていないことを望むしかありません。

 潜在物質界として反映する
  アストラル世界・・・・・ルシファーの領分
  低次のデヴァカン・・・・アーリマンの領分
  高次のデヴァカン・・・・アシュラの領分
  生命エーテル
  化学エーテル
  光エーテル
  潜在物質アストラル世界:電気
  潜在物質低次のデヴァカン:磁気
  潜在物質高次のデヴァカン:破壊の恐ろしい諸力 」

 うーむ、破壊の恐ろしい諸力と電気、磁気は同列に並んでいる。現代社会での磁気の多用といったら携帯電話ですね。破壊の恐ろしい諸力ってなんでしょう。まだ人類にはもたらされていないのでしょうか。「ルドルフシュタイナーの大予言」には「調和する振動の法則の力を借りりることで、広範囲にわたって機械あるいは機械的構造を動かすことができるようになります。」と書いてあるのですが、原子力がそうであるような気も私はします。

 どちらにしても我々の生活基盤はルシファー、アーリマンの上に成り立っているのが現実です。ただ、この場合、ルシファー、アーリマンを単なる悪として捉えると変なことになってしまいます。世界は善と悪で成り立っている。悪がなければ、善も存在し得ないというところでしょうか。

 みなさんのお考えをお聞かせ下さい。

では、また。