オペラと映画

 昨日、人間精神の成果としての映画について書きましたが、映画は今やテクノロジーの固まりになっています。ある意味映画はすべてが人工物です。では、人工物ではない「生」のものとはなにがあるでしょうか。映画に対向するという意味ではやはりオペラではないでしょうか。オペラはもちろん総合芸術としての地位をすでに確立しています。ワグナーのオペラの生を私はまだ聞いたことがないのですが、「ニーベルングの指輪」とか素晴らしいそうですね。しかし、ワグナー以降の傑作オペラというと何があるのでしょうか、あまり思いつきません。知らないだけなのかもしれませんが。舞台芸術ということでは、いろいろな作品が輩出されていると思いますが、あまり詳しくありません。が、それらは完全な「生」ではないでしょう。(三大テノールですら、テレビでやっていたのを見ましたが、マイク使っていたのでビックリしました。)

 完全な私見ですが、「生」の総合芸術はワグナーのオペラに最盛期というか最後の花(爛熟)を開かせ、その後、時間を掛けテクノロジーの進歩とともに映画にその座を譲って行った。

 オペラ=芸術には異論がないでしょうが、映画=芸術には異論があるかも知れません。しかし、オペラだって当時の大衆(?)娯楽であったのでしょうから、映画もあと100年経ったときには映画=芸術なのかも知れません。

 しかし「生」ということにこだわった時に映画=芸術になれるのかとの疑問も湧いて来ます。「生」の舞台には、へんな言葉ですが奇跡が起きるからです。観客と舞台の演者との間の目に見えない相互作用もあるし、とにかく、本番ではリハーサルとは違って、演者にインスピレーションが舞い降り、素晴らしい出来映えとなることがあるのです。そのインスピレーションは観客と共有されるのですが、奇妙なことに、それがオーケストラだとすると、テープにはその場の感動は録音出来ないと言うことです。その場に居たひとしかその本当の感動は判らない。
 
 と「生」にこだわった時、単なるフィルムの映写にすぎない映画って、この点でどうなのだろうとも思ってしまう私でした。

では、また。