道具としてのパソコン

 つい先日から私もmacユーザの仲間入りをしました。昨日の話にも関連しますが道具としてのパソコンについて今日はお話したいと思います。
 私のパソコン歴は会社の仕事がマイコンを使ったハード装置の開発でしたので、機械語によるプログラミングを行う関係でMS-DOSの頃から使っていました。Windowsについては、会社のパソコンが富士通のFMRだった関係で流通ソフトが無かったので、その対策としてWindows3.0の頃から使っていました。(Windowsソフトなら機種に関係なく動いたのでソフトが色々とありましたので。)その後、Windows3.1にバージョンアップして使っていました。ただ当時は家に帰ってまでパソコンはいじりたくないという雰囲気が開発者の間ではあったので家にパソコンはありませんでした。

 その後、ある事情から家でも、仕事をするべく、当時としては国産品に比して画期的安かったDELLを通販で買いました。しかし結局、家で仕事は出来なく、当時リムネットがプロバイダを始めたころで、これに飛びついてインターネットというかMOSAICでのネットサーフィンをはじめた訳です。
 Windows3.1をインターネットへ接続させるのは、当時、解説本も出ていなく、すべて当時のニフティサーブパソコン通信の会議室の投稿を参考に行ったのですが、すごく大変でした。また、Windows3.1ではモデムの持つスピードの最高までRS232Cのポートのスピードが出ないため、最高スピードを出すため初期のWindowsNTを使ってアクセスしたりとの苦労もありました。のちにWindows95が発売され、自宅で導入したのですが、いとも簡単にインターネット接続できるのには本当に驚きました。
 しかし、苦労の末に海外サイトにアクセス出来た時は、日本に居ながら海外と繋がっていることに妙な感慨を持ったものです。

 前おきが長くなりましたが、私のインターネット遍歴の出だしは上述の通りだった訳です。そして当初より、皆も思っていた通り、その可能性に大きな期待をしたものです。さて、しばらくすると各企業や個人はHPを持つのが当たり前、メールがFAXにとって代わった連絡手段となっていました。
 ネットサーフする中で、勿論シュタイナー情報についても探したのですがMOSAIC時代には日本にはそのようなサイトは皆無に近く、MLなどといういうものもまだなくNEWSに海外からのアントロ情報があっただけでした。

 1997年11月からgaiaMLを開始しました。gaiaMLを開始し、そのためにパソコンを使う中で、アーリマンの産物たるパソコンを道具として踏みつけているという感覚を初めて持ちました。
 昨日も書きましたが、道具にはアーリマンの誘惑がすごくあるのですが、それを人間の持つ目的のため道具として使い切るときには、その誘惑に勝ち、それを踏みつけているといえるのではと今は考えています。

では、また。

P.S.巻頭写真は今ブログをやっているiBookです。