確率と偶然、そして人生への信頼

yam_s2004-02-16

 「シュタイナー遠眼鏡」のブログの初回に一体何を書いたら良いかと考えましたが、あまり難しく考えるとこれからが続かないので気軽に行かせて頂くことにしました。では、始めることにします。

 シュタイナーを勉強していてある日突然気付いたことがあります。それは実は自分が確率と偶然という考えに結構捕われていたことです。カルマ論を受け入れていたと思っていた自分としては意外でした。人間の表面での理解とその内実での染み付いたもののギャップが確かに存在するのでした。

 世の中を確率と偶然で成り立っていると考えるのと、何かしらの、宿命ではないにしろ必然がからんでいると思うのでは、その見え方はかなり変わってくるのではないでしょうか? 
 今日何か辛いことあるいは楽しいことがあった時、特に辛いこと。何故こんな目に遭ったのだろうか、それが単なる偶然だと感じたらそこから何も学ぶことが出来ないのではないかと私は考えます。楽しいことから学ぶのは難しい気がしますが辛いことからは多くを学べるのではないでしょうか。
 しかし、全てが偶然だと思っていたら、学ぶ機会は逃げて行くと考えるのです。

 そして、最近さらに気付いたことがあります、それは自分の運命(?)を自分が信じられるか、というか信頼出来るかという疑問です。
 私はいままで結構自分を信じていたのですが、最近自分を信じられないとフッと感じたのです。それは、何か暗い深淵を覗く様な怖いものでした。自分を信じられないなら勿論、自分の人生(運命)も信じられなくなって来ます。今まで自分はいったい何をして来たのか、それで良かったのか。
 自信満々、天上天下唯我独尊も困りものですが、自分を、その人生を信じられないのはそれはそれで困ったことと思うのです。

 自分の人生を信じるのには、確率と偶然とは最も邪魔なもの、と考えるのでした。

 では、また。

P.S.巻頭の写真は今日の我が家のうさぎです。