キリストが寄り添う
抹香臭い、いや、キリスト臭い投稿にて失礼致します。
経済ブログの思考の糸が私の中で切れてしまいました。ですので、経済エポックは申し訳ありませんが中止致します。
テーマを決めると逆にその話題以外が投稿しにくくなるという弊害があるので、初心に戻って、日々の毎日の生活の中で気付いたことを題材とすることとします。
さて、今日の本題ですが、
電車の中で隣のひとのパソコンの中で、キリスト教に於ける悟りについて書かれている文章が目に飛び込んで来ました。文章の詳細は残念ながら失念してしまったのですが、その時、気付いたのは、「境界の大守護霊たるキリストは自分の苦難に寄り添って存在してくれている。」でした。
パッションという映画が今やっていますが、キリストの受けた苦難に思いを馳せる時、今自分が受けている苦難はキリストと同じ様に苦難を受けているのだということ。そして、キリストはその苦難に立ち向かう自らの傍らにつねに寄り添っていると。
では、また。
P.S.
巻頭写真は、久々の登場の今日の我が家のうさちゃんです。