カルマの受容

カルマの受容

 カルマはなんとか受容したいなと思います。でも、今日新聞で読んだ、単身赴任のお父さんに会いに東京に来ていた新小学1年生となろうとしていた子供がつないでいた手を母親から離した隙にホテルの回転扉に挟まれて母親とおばあちゃんの前で即死する、という様な記事を読むと、本当に全ての欲を無くし、人生に達観しなければカルマの受容の心構えなど出来ないと感じました。

 しかし、カルマの受容だけでは、自由を持っている人間としては、まだ一歩踏み込みが足りないと感じます。受容だけではあまりに受け身だと思うのです。自由を持っている人間としては、もうすこし能動的な活動が必要ではないでしょうか。

 カルマを受容した上で、そこで自らの自由を行使して自分がいったいそこでなにをするか。それが、自分の将来あるいは来世を形作っていくはずです。
 初回ブログで述べた「自分の人生を信じる事」を出来る様になったら、それに付け加えて「自分の将来を形作るための行動が必要」となると考えます。

 この行動の源は、自由の哲学で言うところの倫理的創造力、あるいは、「いかにして」の境界の大守護霊との出会い、あるいは、エーテル界に降臨しているキリストとの出会いにより得られるのではと思います。
 いや、そんな難しく考えなくても、自分の中の良心の小さな声さえ聞き逃さなければいいのだと思うのです。

では、また。